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またもや 2006/04/14(金)

アメリカはシカゴ、レッスルマニア22へ行って参りました。遊びぼうけてるんじゃないよとお怒りの方もいるかと思いますが、その分年末までは頑張ります(いや、来年3月までか)。ところでレッスルマニア23はデトロイトのフォード・フィールドらしいのですが…来年4月1日か。どうしましょう、サムシングさん!やっぱり通常の大会狙いの方がいいのかな、と今回のツアーでふと思ったり。ツアーといえば4月8日、angelaのライブにも行って参りましたよ。隣の席の堀江(由衣)さんはいつものように元気に腕を突き上げ…観客全員がタオルを振りまくる「Shangri-La」の時にはマスクをつけて喉を守っていたのはサスガでした(笑)。
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あっという間に4月中旬です。桜がしぶとく残っているウチの近辺ですが、いい加減暖かく、というか暑くなってきました。そろそろコート類はクリーニングに出してしまってしまおうかと思う昨今。で、最近は主に『TOKYO TORIBE2』の脚本作業などやっております。監督作品としては『ねこぢる草』に次ぐ原作ありの作品です。今までオリジナル作品ばかりで今回、大丈夫なんですか?などと聞かれますが、『ちびまる子ちゃん』で原作ものの楽しさ、厳しさというものはイヤと言うほど叩き込まれてきたと思いますので大丈夫かと。でもそれは演出時代でしょ、と言われるかもしれませんが、あんなに露骨に視聴率やらモロモロのプレッシャーを演出時代(しかも演出成り立てのぺーぺーの頃)に感じることが出来たのは幸せだったんだなあと思います。

今こんな話をしても信じていただけないかと思いますが、まる子開始当初、「視聴率15%切ったら打ち切りだって」とPDに言われ「ウカツな演出出来ないなぁ」と気が重くなったのを憶えています。今ではごく普通にあのマンガの世界観、ビジュアルは受け入れられていますが、開始当初は「何であんな企画を通したんだ」とか「○○テレビの恥だな」と悪し様に上層部に言われたという話を聞き及び、監督、PD、そして原作者側にも「今に見てやがれ」という熱さがありました。いや、勝手に僕がそう思っていたのかもしれませんが、少なくとも僕の周囲、キャラデザや作監、美監、色彩設計の人達は燃えていましたね。初めてまる子のコンテを描いたのが6話の『まるちゃんたち犬をひろう』でしたが、描き直しを何と5回くらいました(笑)。まる子の演出の肝、というか「これがちびまる子だ!」というものがまだ確立されていなかった頃だったからこそ、監督のダメ出しも「何か違う」とか「やっぱり違う」という謎かけのようなもので、そんな監督と僕のやり取りを総監督の芝山さんはニコニコと笑って見ていました。ついには「サトウクンは女の子じゃないんだからまる子の気持ちはわからないんだよ!」と言われ、「じゃあ、どうすればいいんですかッ」とけんか腰な展開に。最終的には「気持ちは分からなくても理解は出来るのでは?」「女の子の気持ちはわからなくとも子供の気持ちはわかるのでは?」というアプローチが功を奏したのか、色々面白い原作エピソードを任せていただくようになり、視聴率も夏には39%を越え…何と劇場の企画まで決まって更にスタッフのボルテージは上がっていきました。2年目には主に原作にはない、オリジナル話も任せていただけるようになり、遊園地にロケハンに行ったり、ベルトクイズQ&Qの電飾パターンを紐解いたりと色々面白い体験もできました。原作のさくらももこさん達とも戦友、というお付き合いをさせていただました。劇場版のロケハンの時には、ご実家を訪れご家族とお会いしたり、まる子の友達のモデルになった方の豪邸に行ったり…あの当時は「何てこのシリーズは(精神的に)キツいんだ」と思っていたことが今振り返ると楽しい思い出になっています。それもこれも高視聴率で人気番組になったからだと言われればそれまでですが、演出一年目からああいう作品に関われたこそ今のサトウがあると思います。最近、CSとかで当時の再放送をやっていますが、回を追ってそれぞれ演出的テーマを考えて消化しようとしている態度が真面目というか、我ながらエライなあと思います。もし見かけたらチャンネルを変えずに見てやって下さると嬉しいですね。

最近判明したこと。どうやら巷ではサトウが亜細亜堂を退社したのが『飛べ!イサミ』終了後の96年ということになっているそうなのですが、どうしてそんなことに。実は先日のTAFの展示用にプロフィールをマッドさんで作成していた折りに、担当の方から「ネットでそうなっていますよ」と言われたのです。えーと、すみません、サトウが亜細亜堂を退社したのはTV版『ナデシコ』が終了した97年です(って誰に言ってるんだ)。あと、OVA『がきデカ』は監督でクレジットされています。監修をして下さった小林治さんから「デビュー作が監督ってのはラッキーだったねえ」と言われたのを憶えていますのでついでに訂正しておきますね。

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